ゆーるり。

2007年8月19日
実家に帰っていました。

相も変わらず、真っ青な海に癒され、高校野球を見ながら猫を観察する日々。

夜はビールに枝豆。
すいかなんかも食べちゃったりして。

くーぅ、いいねぇ、このゆーるり加減。

猛暑で、親は暑い暑いを連発していたけど、東京の暑さに比べたらなんのその。

お盆の時期とちょっとずれてたので、友達ももうみんな戻っちゃってて、ほんとずっと高校野球みてた。

帝京、負けちゃったなぁ。
あの監督が好きです。
縦じまのユニフォームも。

毎年、私が応援するのは出身県と、宮城、あとなぜか九州勢ですが、佐賀県には苦い思い出があるので、佐賀北はあまり応援したくないぞ。

忘れもしない15歳の夏、九州勢同士の決勝戦となったあの夏。
九州の中でもなぜか鹿児島代表は毎年気になる存在で、鹿児島商工時代からずっと応援してきた樟南高校が、ついに決勝にまでいった年でした。

女子高生に大人気だったと言われる、福岡−田村のバッテリー。
私は捕手田村くんのファン。
あののび太メガネがステキだったわぁ〜(謎)

決勝戦、同点で迎えた9回。
二死満塁で佐賀商のキャプテンに満塁本塁打を打たれ、散る。
劇的な幕切れと呼ばれたあの大会。
私は大泣きしましたよ。

あの時、福岡くんが田村くんに支えられながらがっくり肩を落とし帽子で顔を隠し泣きながら球場を去る写真、新聞記事がまだ実家の机の引き出しに入っているはずです。

小さい頃から野球は身近な存在で(お父さんがリトルリーグの監督をしてました)高校生になったら絶対野球部のマネージャーをやりたくて、仙台育英に入りたい!!と親に頼んだ時期もあったなぁ。(おじいちゃん家が育英から近かったので)

でも高校から親元を離れる勇気もなく、仕方なくこの劇的幕切れの年に甲子園に出場した高校に入りました。(たまたま近所だった)
入ってみたら、その野球部には女子マネージャーなんて枠は存在してなくて、高校の野球部には女子マネというものが必ずいると勝手に信じていた私には衝撃だったなぁ。

しかも、10年に一度のペースで甲子園に出場してるとこだったから結局私の代には甲子園行かなかったんだけど。
もう今となっては地方大会1回戦、勝ち上がってないときもあるし。

仙台育英に行ったとしても、きっとマネージャーなんてなれなかったでしょう。

宮城代表は毎年、まぁまぁいいとこまで行くのでいつか東北に優勝旗を持ってきてくれると信じてます。
今年は、佐藤くんだけのチームだったからなぁ。
佐藤くん、かわいかったけど。
さっき熱闘甲子園の予告で、彼歌ってたけど・・笑
明日みなきゃ!

今年は、どこが優勝するかなぁ。

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